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『月丸扇の旗の下・裏』 二幕

 
今回も妄想小説のパート・・・
 
 
 
1553年 越後 新発田城

義篤は奥州征伐の指揮を執るべくこの新発田城へ入城していたが、義友をはじめとする征伐軍主力の多大な働きにより、城に留まっていた

しかし、義友軍が南部家の出城、金田一城を制圧したころから義篤は病に臥せりがちになっていた

「・・・」

義篤は新発田城天守閣から日本海を眺めていた

「大殿、和田様がお着きございます」

小姓が静かに告げた

「来たか。床の間に通しておけ」

「御意にございます」

義篤は以前の軽やかな足取りも今では老人の様に重い足取りとなっていた


「昭為。呼び立ててすまぬな」

「いえ・・・大殿こそ、御具合はよろしいのですか?」

和田昭為。幼少から義篤の小姓として仕え、元服と同時に政に参画。物覚えと要領の良さから頭角を現し、現在は奥州新領地の差配を任されていた

「今日はいささか調子が良い」

それを聞いた昭為は安堵の表情を浮かべた

「それはようございました」

義篤も昭為もお互い僅かな笑みを浮かべた。しかし、義篤はすぐに表情を変えた

「お主を呼んだのは他でもない・・・義友のことだ」

「義友様・・・で、ございますか?」

いまいち話の趣旨が飲み込めない昭為に、義篤は続けて言った

「あれは側室の子だが、我が子等の中では年長者だ。それがあれにあらぬ野心を抱かせぬとも限らん」

「お世継ぎでございますか?」

昭為は義篤の言葉を聞いてすぐに理解した

義篤には現在、四人の男子がいる

正室の子であり、義篤も重臣も後継者として認めている義昭

側室の子に、義友、義繁、義顕。この三人はいずれも同じ母親から生まれている

しかし、この四人の中で年長者が義友なのである

「あれは内に秘めた何かがある・・・佐竹の棟梁になろうという野心か。はたまた別の何かか」

昭為は冷や汗をかいていた

昭為の脳裏をよぎったのは「お家騒動」

この乱世、正室の子と側室の子が跡目を巡って争うことは世の常となっている

しかし、義篤は内外に「後継者は義昭」と公言している

にも関わらず、義友が佐竹家の跡目を狙い、挙兵に及べばたちまち大乱となる

「昭為、そちも禅哲と共に義友の傍に付け。禅哲一人では心許ない故な」

「・・・承知いたしました」

昭為は胸に不安を抱かせながらも義篤の命に黙って従った

それが義篤への忠義だと思ったからである
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No title

義繁や義顕の動向が気になるなぁ・・・。

>実況の方
義昌はもう諦めるしかないね。仕方ないね。
それと、須田盛秀さんは義宣の代に仕える事になる人です。
純家臣とは言えませんが、一応。

この後は小貫頼久1559年が一番近いです
順に、梶原政景1563/真壁氏幹1565/車丹波1567/
佐竹義久1569/岡本顕逸1574
と、まあ一族や佐竹に関った人物はなかなかでてこないので
さくっと統一しちゃうのがいいでしょうねぇw
プロフィール

ヴァイツェッカー

Author:ヴァイツェッカー
社会人1年目のヴァイツェッカーと申します。
ニコニコ動画で「信長の野望」実況プレイをやっています。

2010年12月23日現在、実況3作品(上洛・天下は二つで1作品)、純紙芝居1作品を完結。「義清戦記」と「白馬伝」が連載ストップしててすいません;再開の目途はまったく立っていないですm(_ _)m

時間と金に余裕のあるときは迷彩服に身を包み、サバゲーをやっています。地元・茨城と隣県(主に千葉県)へ遠征をしています

好きな戦国武将はもちろん地元茨城の戦国大名・佐竹義重、そして前田利家。
好きな三国武将は夏侯淵、張遼(勢力でも魏が好き)

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