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戦国武将話 その一

ここでは不定期に戦国武将に関するお話をしていこうと思います。すでに周知のこともどんどん書いていきますので、間違ってることもあります。その都度ご指摘いただければ嬉しいです

まず一発目はうp主の実況第一作目の主人公「佐竹義重」のお話
では、どうぞ↓



佐竹義重は常陸国、現在の茨城県出身の戦国大名です
常陸守護の家の佐竹家ですが、義重の父・義昭の時代では常陸北部しか支配していなかった「半国守護」と言われています
義重ですが異名である「鬼義重」と呼ばれているように猛将型の武将と思われがちですが、義重は内政、外交にも秀でた大名です
金山の開発に熱心に取り組み、関東一とまで言われる鉄砲隊を組織(それでも500丁ほど)
北に伊達、南に北条という二大勢力に挟まれた状況を周辺の大名、豪族と同盟、婚姻などで連合を組み、渡り合っています
特に伊達政宗と戦った「人取橋の戦い」では、反伊達連合軍3万の盟主となって政宗を追い詰めてます(結果として戦術的には勝ち、戦略的には負けと一般的に言われています)
この戦いは、領内で謀反の動きと北条が常陸侵攻の構えを見せたことで義重が撤退。そのため反伊達連合は解散し、政宗は飛躍していくのです
義重は信長のように天下を見据えて戦っていた訳ではない(というか大半の大名が見据えてない)ので、領地を守ることが第一だったのです

それでも義重の名は畿内にまで届き、時の十五代将軍足利義昭から協力を求める書状が送られている

豊臣秀吉の奥州仕置きに嫡男・義宣と参加し、常陸一国を安堵され、54万5千石の大々名となる(この石高はこの時、全国で第九位の石高)
関ヶ原合戦後、日和見の姿勢を咎められ秋田20万石に減封。義重は1612年、鷹狩りの最中に脳溢血で死去

この関ヶ原の時、佐竹が動いていたらどうなっていたか・・・
歴史にifは禁物ですが、少し考えてみましょう
上杉軍は伊達、最上、そして結城秀康軍を相手にしている。いくら120万石の上杉とはいえこれは厳しい状況
もし佐竹が上杉に加勢していたら・・・
もし佐竹が全軍を挙げて、江戸を強襲、もしくは中山道の秀忠軍を真田軍と挟み撃ちにしていたら・・・
でもこれは主戦である三成対家康が長期戦になっていたらの場合
歴史とはわからないものですね。だからこそ面白いのです

また父・義昭時代、北条に敗れた関東管領・上杉憲政が義昭を頼り、管領職を譲ると申し出てくるが、義昭は断り、憲政は越後・長尾家を頼ります。これは正統な源氏の流れを汲む常陸守護・佐竹家の名を大事に思った義昭の行動です


とこんな感じにちょっと検索したらすぐ出てきそうなものを書いてみました;こういう形でやっていきたいと思います
武将のリクエストがあったら自分なりにやってみます。リクエストはコメントよりどうぞ
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プロフィール

ヴァイツェッカー

Author:ヴァイツェッカー
社会人1年目のヴァイツェッカーと申します。
ニコニコ動画で「信長の野望」実況プレイをやっています。

2010年12月23日現在、実況3作品(上洛・天下は二つで1作品)、純紙芝居1作品を完結。「義清戦記」と「白馬伝」が連載ストップしててすいません;再開の目途はまったく立っていないですm(_ _)m

時間と金に余裕のあるときは迷彩服に身を包み、サバゲーをやっています。地元・茨城と隣県(主に千葉県)へ遠征をしています

好きな戦国武将はもちろん地元茨城の戦国大名・佐竹義重、そして前田利家。
好きな三国武将は夏侯淵、張遼(勢力でも魏が好き)

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